会社案内
1. 誠 実 は 信 用 の 基
1. 健 康 は 幸 福 の 基
1. 質 素 は 安 定 の 基
1. 反 省 は 向 上 の 基
1. 努 力 は 発 展 の 基
商号 | 株式会社工成舎 |
---|---|
本社 | 北海道札幌市西区発寒13条12丁目3番45号 TEL:011-661-0181 FAX:011-661-0260 |
石狩支店 |
北海道石狩市緑ケ原1丁目362番地 TEL:0133-66-3941 |
設立年月日 | 昭和33年3月20日 |
資本金 | 5,000万円 |
建設業登録番号 |
知事許可 (特-3)石第2111号 許可年月日 令和4年3月12日 建設業の種類
土木工事業, 管工事業, 機械器具設置工事業, 水道施設工事業, 鋼構造物工事業
建設業の種類 消防施設工事業 |
適格請求書発行事業者登録番号 | T6430001005701 |
役員 |
代表取締役 白岩 和徳 常務取締役 白岩 拓朗 取 締 役 中村 敏幸 取 締 役 安田 喜正 |
社員数 | 45名 |
系列会社 | 朝日通商株式会社 SSKファシリティーズ株式会社 |
所属団体名 |
札幌空調衛生工事業協会 札幌市管工事業協同組合 石狩管工事業協同組合 札幌鉄工団地協同組合 北海道機械工業会 札幌商工会議所 |
営業品目 |
|
許可(登録) |
|
表彰 |
|
代表メールアドレス | sapporo@kouseisya.co.jp |
1級 管工事施工管理技士 |
18名 |
---|---|
2級 管工事施工管理技士 |
3名 |
1級 土木施工管理技士 |
6名 |
2級 土木施工管理技士 |
5名 |
1級 建築施工管理技士 |
1名 |
建築設備士 |
1名 |
2級 電気施工管理技士 |
1名 |
消防設備士 |
7名 |
建築設備検査資格者 |
1名 |
給水装置工事主任技術者 |
19名 |
北海道排水設備工事責任技術者 |
16名 |
1級 配管技能士 |
3名 |
1級 配管技工 |
2名 |
1級 溶接管理技術者 |
1名 |
ガス消費機器設置工事監督者 |
7名 |
液化石油ガス設備士 |
2名 |
貯水槽清掃作業監督者 |
1名 |
貯水槽清掃作業従事者 |
2名 |
ボイラー整備士 |
1名 |
---|---|
玉掛技能士 |
11名 |
地山掘削作業主任者 |
2名 |
土止め支保工作業主任者 |
2名 |
酸素欠乏危険作業主任者 |
25名 |
酸素欠乏・硫化水素危険作業主任者 |
24名 |
足場作業主任者 |
6名 |
危険物取扱主任者 |
4名 |
高所作業運転技能講習(10m以上) |
6名 |
小型移動式クレーン運転技能 |
2名 |
石綿作業主任者 |
21名 |
第1種衛生管理者 |
1名 |
特別管理産業廃棄物管理責任者 |
9名 |
登録配管基幹技術者 |
1名 |
第二種電気工事士 |
1名 |
ダイオキシン類作業指揮者 |
3名 |
工成舎 歴史の第一歩
1930~1945年(戦前・戦中・終戦の混乱期)
工成舎の起源は1930年に遡る。鉱山機械製作からのスタートであった。
石炭は自給可能なエネルギーとして、近代化を進めるための生命線であり、北海道はその一大産地として大きな役割を果たしていた。まさに近代化の一翼を担う創業期であった。
戦争が始まり長期化するなか、物資が不足する日本において、鉄を扱う企業は軒並み軍需産業にとりこまれることとなり、工成舎を中核とした北海道重工業が設立され、終戦後に解散する運命をたどる。
1930年
機械技術者であった石井清三が札幌の地に鉱山機械の製作を目的とする工成舎を創業する。
1944年
海軍管理工場となる。
1947年
解散、創業17年で幕を閉じることとなる。
写真左) 旧工成舎創業者 石井清三
写真右) 石井清三と学生時代の白岩大策
復活創業の想い
1954~1987年(高度成長期から低成長期へ)
1944年に早逝した石井清三の次男である白岩大策は、父親の意思を継ぎ機械技術者となった。札幌で終戦を迎えた白岩大策は日本の復興のために力を注ぐことを誓い、1954年に工成舎を復活創業させる。旧工成舎時代から引き継いだ鉱山機械の製作とともに、米軍基地のボイラー据付など機械設備工事に参入した。
確かな技術力と高度経済成長時代を背景に業容を拡大し、グループ会社を2社立ち上げるなど、北海道に確固たる営業基盤を確立する。当時、未来都市の象徴であった地下鉄事業への参画など、街づくりを通して札幌と共に成長していった。
1954年
白岩大策が「工成舎」を復活創業。前身と同じ地である札幌市北11条東8丁目にて営業を開始する。
1958年
株式会社に法人改組。白岩大策が代表取締役に就任。同時に建設業の許可をとり現在の主業となる機械設備工事を拡大させる。
1964年
砕石プラントを製作する朝日通商株式会社を設立。
1965年
札幌鉄工団地に工場設立。
1976年
地下鉄東西線を維持管理する札幌施設管理株式会社(現SSKファシリティーズ株式会社)を設立。
1977年
札幌鉄工団地に本社移転新築。
確固たる企業基盤づくりのために
1988~2020年(バブル景気からバブル崩壊そして失われた30年)
1995年、白岩大策の長男である白岩和徳が代表取締役に就任する。バブル経済崩壊、地方衰退、リーマンショック、公共工事抑制等による業界の淘汰が始まり、地方の建設業はまさに冬の時代であった。
厳しい経営環境の中、工成舎はリニューアル市場への本格参入、石狩支店の開設など裾野の拡大を図り着実に前進していった。
営業基盤の裾野拡大とともに力を入れたのは、より一層強固な組織体制の構築である。新たに「品質の追究」「付加価値の重視」「職員の成長」「地域に選ばれる企業」の4つの経営ビジョンを掲げ、PDCAサイクルを徹底する組織体制を構築した。
ISO9001取得による社内規程の再整備、本社、工場の新築を行い、ソフト・ハード両面を強化した。
ハイレベルの技術者と会社全体での品質管理、そして現在40社いる協力会社(専門工事業者)の皆様が一丸となって生み出す、「高い技術力」は工成舎の大きな強みとなっている。
1988年
完工高10億円を突破
1995年
白岩和徳が代表取締役に就任
1998年
リニューアル市場本格参入
2001年
石狩支店開設
2004年
経営ビジョン改訂 / ISO9001認証取得
2008年
第二工場新築
2013年
純資産額10億円突破
2015年
第二工場増築
2016年
本社新築
新時代―そして未来へ―
2021年~
建設業は、人々の安心・安全・快適な暮らしを創り、地域経済を担う絶対になくてはならない仕事である。
札幌の街並みは1972年の冬季オリンピックにむけ整備され、発展してきた。50年以上が経過した現在、市内の再開発は活況で、今後も一定の建設需要が見込まれる。しかし、その需要に応えることができる供給(建設工事業者)量を維持できるか。業界全体の大きな課題である。
私たち工成舎は、次の世代を担う人材の採用と、技術伝承による若手技術者の育成を行い、協力会社含めて強固な体制を構築していくことで、この先の未来も「地域にとってなくてはならない企業」であり続けることを目指します。